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ホームページ閉鎖 [思]

契約しているプロバイダが、ホームページをネットに公開するサービスを打ち切った。
今さら他社に乗り替えて作り直す気にもならず、20年続けたホームページも終わった。もっとも、ここ数年はブログ以外は更新していなかったのだが。
開設当時はゴールデンレトリーバーを飼い始めたときで、家人が犬の紹介のためにホームページを作った。それをまねしてバードウオッチングのページを作ったのだった。
何事もいつかは終わる。ブログだけは今の会社に引き継がれたのだが、これもいつ打ち切られるかもしれない。終活の一つになるのだろう。

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河内長野野鳥の会の探鳥会は休止 [鳥]

とうとう河内長野野鳥の会の探鳥会が休止になった。とりあえず6月までだが・・・。
毎偶数月1日に発行される会報「こげらつうしん」の表紙に、向こう2ヶ月の探鳥会の予定が載るのが常だった。
ところが、コロナ禍のために、その中止を知らせる連絡が昨年4度にのぼり、とうとう探鳥会の計画そのものが立てられなくなってしまった。
この状態が続けば、1982年に創刊されて以来、一度も休刊したことのない「こげらつうしん」も存続が危うい。

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自然保護展2020 [鳥]

河内長野市自然環境保護協議会が主催する自然保護展が始まった。
協議会を構成する、河内長野野鳥の会、食草薬草の会、水生生物観察会、エコライフかわちながの、の4つの団体が1年間の活動を発表して、自然を大切にすることを訴える催し。
毎年11月の第1土曜、日曜日に河内長野駅前のビルで行ってきたが、コロナ禍のために今年は市役所のロビーが会場になった。
いつもは来場者に楽しんでもらえるように、簡単な工作やゲームを用意したりするのだが、団体を紹介する展示だけで残念。仕方ない。22日まで行われるが説明者は常駐しない。

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佐々木譲「雪に撃つ」 [読]

北海道警察シリーズの最新作。
チーム佐伯と準レギュラーになった長正寺機捜隊長が、今回は札幌雪まつりを舞台に、ヤクザから逃げる技能実習生を助ける。
優秀な刑事なのに、上層部の腐敗に目をつむらず閑職へ飛ばされた佐伯が、盗難車の捜査を足がかりに巨悪を暴いていく。
コロナで停滞しているとはいえ、いまや労働力として欠かせない技能実習生。彼らを巡ってヤクザや議員が利権をむさぼる。実際にありそうな話でとても面白かった。
佐伯の百合との関係や、実家の話も出てきて、シリーズはまだまだ続く。

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数年ぶりの雪景色 [遊]

朝から雪が降ってうっすらと積もった。何年ぶりか。
ここに引っ越してきた30数年前には、シーズンに2,3回は積もったものだったが、ここ何年かはそこまで降らなかった。温暖化のせいだろう。
餌台にも積リ、雪国の人には申し訳ないが、久々に雪景色を楽しんだ。

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吉田千亜「孤塁」 [読]

東北大震災・原発事故から間もなく10年になる。放射能汚染は残り、復興は進まず、多くの住民が戻らないという。
当時、災害の最前線にいたのが地元双葉郡の消防士たちだった。この本は、彼ら125人のうち、著者が7年後に話を聞きことができた、66人の証言をまとめた記録である。
火事を消し、急病人を搬送することが本来の任務である彼らが、原発事故に巻き込まれ、「生きて帰れるか」という不安を抱えながら、情報不足と応援部隊が到着しないという、絶望的な状況の中で活動した様子が淡々と綴られている。
彼らのことは自衛隊やハイパーレスキュー隊、フクシマ50のようにマスコミには報じられなかった。彼らの行動を残す極めて貴重な、価値ある本だ。
付け加えると、高い放射能を浴びた彼らは避難所でも病院でも差別を受けたという。全く今のコロナの状況と同じだ。一体、日本人はどうなってしまったのだろう。

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花はみなちりて [思]

河内長野の烏帽子山八幡神社へ初詣に行った。おみくじは末吉だった。
「花はみな ちりてあとなき こずえには 実らん秋の たゞ待たれけり」
こころ正しく落ち着いて過ごせば、やがて望みは叶い、幸せが来るという。
何やら、とっても含蓄のあるくじを引いたなあ。

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最後の年賀状 [思]

謹賀新年。大荒れの年越しという予報だったが、幸に当地は穏やかに明けた。
年賀状を出すのは今年で終わりにさせてもらうことにした。身辺整理の一つ、なんて言えばもっともらしいが、ただ面倒くさくなってきたのが本音かもしれない。
子どもの頃からの、年の瀬の習慣だったからかれこれ60年は続いたろう。そう思うと感慨深いものもあるが、何でもいつかは終わりが来る。
とはいえ、自分から出すのは辞めだが、もらうものはいくらでも欲しい。実にいい加減なことで今年も始まった。

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